酔いどれ! 映画祭追想録
モスクワ映画祭やタシケント映画祭の日本代表団の世話役として活躍した筆者が綴る追想録!
1987年モスクワ国際映画祭エピソード(2)
 この年の4月、日本海映画は、お蔵映画の代表作アレクセイ・ゲルマン監督の「道中の点検」を配給しました。
アスコリドフ監督 しかし、本映画祭のソ連映画人同盟主催のシンポジウムで、もっとすごいお蔵映画の存在が明らかになります。アレクサンドル・アスコリドフ監督の処女作にして20年間封印されていた「コミッサール」です。海外からの多数の参加者を含む討論会場で、その映画の存在を自ら主張したアスコリドフ監督。「コミッサール」は2日後、超満員の観客を集め上映されました。

クリモフ監督 20年たった今、歴史の一頁に参加できたことを思い出し、酔いどれるのであります。
 この時、映画人同盟をとりしきっていた「炎628」のエレム・クリモフ監督は2003年亡くなりました。合掌。




(左の写真)質問を受けるアスコリドフ監督 / (右の写真)シンポジュウム会場のクリモフ監督


テーマ:ロシア・ソビエトの映画祭 - ジャンル:映画

1987年モスクワ国際映画祭エピソード(1)
インタビューを受ける短編記録映画部門審査委員・羽仁進監督 1987年の映画祭は羽仁進氏に審査員をお願いした。その映画祭会期の半ばに同氏の母親が亡くなられた。その事をお知らせすると「ありがとう、母とは東京を出るとき別れをしてきました。母も承知しております。このまま審査員として残ります。」と言われ、さすがに羽仁家はすごいと感じ入りました。


短編記録映画部門上映会場 この年はペレストロイカの真っ只中で「コミッサール」を始め長くお蔵入りしていた作品や、タルコフスキー全作品の回顧上映など大変活気ある映画祭でした。

 「コミッサール」DVDはロシア映画社ホームページ内「電網店」よりお買い求めいただけます。是非お立寄りください。

 ●写真は、短編記録映画部門上映会場とインタビューを受ける短編記録映画部門審査委員・羽仁進 監督

テーマ:ロシア・ソビエトの映画祭 - ジャンル:映画

モスクワ映画祭エピソード 1977年の思い出から
 今年もモスクワ映画祭の時期になりました。
 ロシアになってからの映画祭は誰でも参加できますが、規模は昔に比べると小さく魅力有る映画祭とは言えません。
 ソビエト時代は日本からは監督、俳優、評論家、映画会社の首脳陣等錚々たるメンバーが毎回30人前後代表団として参加したものです。
 当時、代表団のお世話をする事が多かった私ですが少し思い出を書いておきたいと思います。

 1977年、この年は三船敏郎さんがモスクワ映画祭の審査員になられ、お供しました。
 とにかく三船さんは精力的に動かれました。
 日本人代表団の為にわざわざミュンヘンまで行かれ、チラシ寿司を差し入れしていただきました。
 当時、モスクワにはまだ日本レストランも無く日本のインスタント食品も売られていない時代なので、これには代表団全員が大喜びでした。
 モスクワ河の舟遊びの日は朝からウォッカを飲みとおしで、夕方8時頃からはホテルのバーで大騒ぎ。 何を話していたのか記憶が定かでありません。
 三船さんを見つけたファンが握手やサインを求めて近づいて来ると、三船さんはかなり酔っていらっしゃったのに嫌な顔もせずにスッと立ち上がり、丁寧に握手やサインをされていました。
 さすがに世界の三船は違うなあ、と感心したものでした。

テーマ:★海外映画★ - ジャンル:映画