酔いどれ! 映画祭追想録
モスクワ映画祭やタシケント映画祭の日本代表団の世話役として活躍した筆者が綴る追想録!
1987年モスクワ国際映画祭エピソード(10)
 1987年の事を思い出していますと、20年の時間が流れていますので亡くなられた方が多いのは当然ですが、90年に亡くなられた全大阪映画サークル協議会の梨木一昭事務局長の事を少し書いておきたくなりました。70年の大阪万博からのおつきあいでした。私は梨木氏に映画の宣伝・配給の事を教えていただきました。いわば私のお師匠さんです。
(東京では岩波ホール、日劇文化とキャパシティ200席の劇場で公開した惑星ソラリスでしたが、梨木さんに配給をたのんだ大阪では3000席のフェスティバル・ホールで上映していただきました) 大変お酒に強くいつもはしご酒で飲みまわり論争したものです。知識も豊富で自分の意見をキチンとお持ちの方で、自分の考えを曲げないぶれない方でした。当たり前ですが作品論に関しては“いいか悪いか”で論ずべきですが、私が“好きか嫌いか”で話すので、意見の一致をみない事も多かったのですが、人物評に関しては“好きか嫌いか”論に同調される事が多く、好きな人の話はほとんどしませんが、嫌いな人に関しては、悪口を共有できる同志でした。
1987年モスクワ国際映画祭エピソード(9)
川喜多かしこさんと「ロビンソナーダ」のナナ・ジョルジャーゼ監督 この年は川喜多かしこさんも参加されていました。
夫人はソビエト映画界でも大変尊敬されていました。お嬢さんの和子さんが副社長のフランス映画社さんから、シャンテ・シネ開館第2弾に決まっていた「ロビンソナーダ」のプリントを急ぎ入手するように依頼をされていました。監督のナナ・ジョルジャーゼは夫人にご馳走になった時、夫人が役員をしている会社で配給してもらえる事を素直に喜んでいました。通常のビジネスのやり方でプリントを直ぐ入手など無理なことが解っていますので、彼女に話したところ、自分が個人的に預かっているプリントを持っていけばとの話になり、彼女のアパートにとりにいきました。ご存知ないでしょうが映画のプリントは100分で30Kg位ある重たいものです。車を降りホテルの自分の部屋まで大袈裟に言えば10分位かかります。二日酔いの体には辛い仕事でした。社会主義・官僚主義の世界ではコネクションがあればたいていはスムーズに処理できる良いところもあるのです。


写真は、川喜多かしこさんと「ロビンソナーダ」のナナ・ジョルジャーゼ監督

テーマ:ヨーロッパ映画 - ジャンル:映画