酔いどれ! 映画祭追想録
モスクワ映画祭やタシケント映画祭の日本代表団の世話役として活躍した筆者が綴る追想録!
ロマノフ王朝の最期
RUSCICOのDVD「炎628に収録されているエレム・クリモフ監督の誠実なるインタビューを見ていて1975年のモスクワ映画祭のことを思い出した。デルス・ウザーラ「砂の器」が出品された年である。この時、私は映画公団の試写室で完成したばかりのクリモフ監督のロマノフ王朝の最期を監督とともに見る機会にめぐまれた。ロシアでも公開されたのが1985年だから、非常に貴重な経験をしたことになる。


   
地方映画祭
ソ連時代のモスクワ国際映画祭のことだが、モスクワでの上映が終了後、出品映画を数本ずつわけて、他共和国の都市数箇所で地方映画祭が行われていた。当時は2週間にわたってモスクワ映画祭に参加し、その後、地方にも行ってみるなど、考えてもいなかったが、今となっては、一度くらいはそういう体験もしておいたら…と 映画祭の達人N氏の話を聞いていると思うのであります。
映画祭の達人
20年前、Nさんがタシケント映画祭に参加した。大手配給会社を退職し映画の前売り券の販売や学校での映画上映などを仕事にされていたのだが、もともと映画好き、旅行好き、パーティー好きで、独立された時より、映画祭に参加したいと言っておられたのだ… 彼はこのタシケントで、上映会場行きのバスに乗り遅れ、移動の手段がなく、途方にくれていたモントリオール映画祭事務局の責任者を世話したことから、モントリオールによばれ、その後、それこそ、毎月のように、世界各地で開催されている映画祭に次々と参加していく事になる。映画祭の達人のデビューである。
つい最近も、パリ映画祭やアルマトイ映画祭(いずれも日本人参加者は彼のみ)に行ってきたとのこと。
いつか、貴重な映画祭体験レポートを書いてもらいたいのだが…

1988年タシケント国際映画祭
ソ連時代、奇数年にモスクワ映画祭、偶数年にタシケント映画祭が行われていました。禁酒令が出ていた1988年。会食やパーティー等の公の場には、それは見事にアルコール類は一切でませんでした。ホテルでは売っているので外国人は困りませんが、ロシア人は配給と闇でしか手に入らないので、飲み助たちにはゴルバチョフのこの政策は不評でした。
この年のタシケント映画祭で映画公団との打ち合わせ時“コーヒー、紅茶、白いお茶、どれにします?”当然“白いお茶”と答えます。ウズベク独特の陶器の急須に入ったウォッカをお茶碗で飲む。 粋なものでした。ロシア人も飲み助が多いので、色々考えて客をもてなしてくれました。

ロシア映画社のホームページに扇先生のウラジオストック映画祭のレポートが掲載されています。是非、アクセスして下さい。

テーマ:映画祭 - ジャンル:映画

映画フィルム
土佐清水の映画館を舞台にしたTVドラマ「歌姫」で長瀬智也扮する主人公、四万十太郎が新作映画をとりにいくシーンで映画フィルムを片手で持っていた。映画のフィルムは1,000feet巻き10R(100分)で約30kg
あるのだが… そこで、映画のデリバリーの達人のことを思い出した。
映画を映画館に納入するのは配給者の仕事だが、名画座などの映画館(こや)からの依頼で配給会社に取りに来てくれる人がいた。高田馬場東映パラスで上映する惑星ソラリス17R(巻をつみあげると80cm位)とストーカー同じく17Rを持参の袋に入れ、2本で90kgはあるだろうその不安定な袋をバイクの後ろにのっけて颯爽と去っていった。20数年前のことである・・・


*本文中の「10R」「17R」というのは、「10巻」「17巻」という意味です。「R」は「Reels」の略なんですな(by 西下外語教室!)