酔いどれ! 映画祭追想録
モスクワ映画祭やタシケント映画祭の日本代表団の世話役として活躍した筆者が綴る追想録!
あいち国際女性映画祭
1998年のこと。あいち国際女性映画祭事務局から「遥か遠くで」の監督リディア・ボブロヴァさんの招聘を頼まれ、また、成田から会場まで連れてきてほしいといわれた。成田にはH君と西下外語教室の西下氏に出迎えをたのみ、私は東京駅で待ち合わせ名古屋へ向かった。
名古屋に着き、H君と監督は事務局が用意したタクシーに、私と西下氏も別の車で会場のウィ愛知に、が、着いた場所はとても映画祭の記者会見場とは思えない。指定の部屋にも誰もいない。ホールの受付に聞くと、ここは結婚式場との事。どうしてここに連れてこられたか…。
記者会見には大はばに遅れてしまいました。


惑星ソラリス
「惑星ソラリス」初公開時のパンフレットより(クリックすると、ロシア映画社パンフレット図書館のページへ!) 未来都市のイメージを求めて日本に撮影に来たタルコフスキーが撮ったのは東京の首都高速だけではなかった。日通航空のヘリコプターをチャーターして,大阪千里の万博跡を空撮したのです。

 惑星ソラリスを配給できたこともさることながら、この作品の製作の一端に関われた事を誇りに思うのであります。




惑星ソラリス
読売新聞から取材をうけていた惑星ソラリスの記事が12月3日に掲載された。その記事をみて、36年前にちょうどバイトに来てくれていて、いまや高名なF弁護士が忙しい中かけつけてくれた。
酔いどれ日記といってはいるが、これは酔いどれていたころのことであり、今現在は一滴も飲めない体になってしまった。F氏も酒はドクター・ストップとのこと。月日のたつのは早いものですな…
映画祭の達人
映画祭の達人は丹羽高史さんです。
ポーランドのウッチ映画祭から戻ってきたばかりですが、また、インドのケララ映画祭に行かれるとのことです…
ロマノフ王朝の最期
RUSCICOのDVD「炎628に収録されているエレム・クリモフ監督の誠実なるインタビューを見ていて1975年のモスクワ映画祭のことを思い出した。デルス・ウザーラ「砂の器」が出品された年である。この時、私は映画公団の試写室で完成したばかりのクリモフ監督のロマノフ王朝の最期を監督とともに見る機会にめぐまれた。ロシアでも公開されたのが1985年だから、非常に貴重な経験をしたことになる。


   
地方映画祭
ソ連時代のモスクワ国際映画祭のことだが、モスクワでの上映が終了後、出品映画を数本ずつわけて、他共和国の都市数箇所で地方映画祭が行われていた。当時は2週間にわたってモスクワ映画祭に参加し、その後、地方にも行ってみるなど、考えてもいなかったが、今となっては、一度くらいはそういう体験もしておいたら…と 映画祭の達人N氏の話を聞いていると思うのであります。
映画祭の達人
20年前、Nさんがタシケント映画祭に参加した。大手配給会社を退職し映画の前売り券の販売や学校での映画上映などを仕事にされていたのだが、もともと映画好き、旅行好き、パーティー好きで、独立された時より、映画祭に参加したいと言っておられたのだ… 彼はこのタシケントで、上映会場行きのバスに乗り遅れ、移動の手段がなく、途方にくれていたモントリオール映画祭事務局の責任者を世話したことから、モントリオールによばれ、その後、それこそ、毎月のように、世界各地で開催されている映画祭に次々と参加していく事になる。映画祭の達人のデビューである。
つい最近も、パリ映画祭やアルマトイ映画祭(いずれも日本人参加者は彼のみ)に行ってきたとのこと。
いつか、貴重な映画祭体験レポートを書いてもらいたいのだが…

1988年タシケント国際映画祭
ソ連時代、奇数年にモスクワ映画祭、偶数年にタシケント映画祭が行われていました。禁酒令が出ていた1988年。会食やパーティー等の公の場には、それは見事にアルコール類は一切でませんでした。ホテルでは売っているので外国人は困りませんが、ロシア人は配給と闇でしか手に入らないので、飲み助たちにはゴルバチョフのこの政策は不評でした。
この年のタシケント映画祭で映画公団との打ち合わせ時“コーヒー、紅茶、白いお茶、どれにします?”当然“白いお茶”と答えます。ウズベク独特の陶器の急須に入ったウォッカをお茶碗で飲む。 粋なものでした。ロシア人も飲み助が多いので、色々考えて客をもてなしてくれました。

ロシア映画社のホームページに扇先生のウラジオストック映画祭のレポートが掲載されています。是非、アクセスして下さい。

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映画フィルム
土佐清水の映画館を舞台にしたTVドラマ「歌姫」で長瀬智也扮する主人公、四万十太郎が新作映画をとりにいくシーンで映画フィルムを片手で持っていた。映画のフィルムは1,000feet巻き10R(100分)で約30kg
あるのだが… そこで、映画のデリバリーの達人のことを思い出した。
映画を映画館に納入するのは配給者の仕事だが、名画座などの映画館(こや)からの依頼で配給会社に取りに来てくれる人がいた。高田馬場東映パラスで上映する惑星ソラリス17R(巻をつみあげると80cm位)とストーカー同じく17Rを持参の袋に入れ、2本で90kgはあるだろうその不安定な袋をバイクの後ろにのっけて颯爽と去っていった。20数年前のことである・・・


*本文中の「10R」「17R」というのは、「10巻」「17巻」という意味です。「R」は「Reels」の略なんですな(by 西下外語教室!)
1987年モスクワ国際映画祭エピソード(10)
 1987年の事を思い出していますと、20年の時間が流れていますので亡くなられた方が多いのは当然ですが、90年に亡くなられた全大阪映画サークル協議会の梨木一昭事務局長の事を少し書いておきたくなりました。70年の大阪万博からのおつきあいでした。私は梨木氏に映画の宣伝・配給の事を教えていただきました。いわば私のお師匠さんです。
(東京では岩波ホール、日劇文化とキャパシティ200席の劇場で公開した惑星ソラリスでしたが、梨木さんに配給をたのんだ大阪では3000席のフェスティバル・ホールで上映していただきました) 大変お酒に強くいつもはしご酒で飲みまわり論争したものです。知識も豊富で自分の意見をキチンとお持ちの方で、自分の考えを曲げないぶれない方でした。当たり前ですが作品論に関しては“いいか悪いか”で論ずべきですが、私が“好きか嫌いか”で話すので、意見の一致をみない事も多かったのですが、人物評に関しては“好きか嫌いか”論に同調される事が多く、好きな人の話はほとんどしませんが、嫌いな人に関しては、悪口を共有できる同志でした。